月森あいらの歴史雑談

歴史の雑談をします。

あかねさす/むらさきの・万葉集の恋の歌

相聞歌とは:恋の歌。恋人同士の間で詠みかわされた歌(ブリタニカ国際大百科事典より)

 

人を愛する歌、と言ってもいいと思います。

 

万葉集は4516首の歌からなっています。そのうちの相聞歌は1878首、42%にのぼります。

佐佐木信綱『新訓万葉集』(岩波文庫)解説より》

 

万葉集は、半分近くが恋の歌。

 

とっても乱暴に言うとそういうことです。

 


今回はその中の二首を取りあげます。

 


あかねさす 紫野行き標野行き 野守は見ずや 君が袖振る (巻一・20・額田王) 

 

(↓万葉仮名での表記とその読みです)

茜草指 武良前野逝 標野行 野守者不見哉 君之袖布流
(あかねさす むらさきのゆき しめのゆき のもりはみずや きみがそでふる)

 

 

紫草の にほへる妹を憎くあらば 人妻ゆゑに 我恋ひめやも (巻一・21・大海人皇子

 

(↓万葉仮名での表記とその読みです)

紫草能 尔保橄類妹乎 尔苦久有者 人蠕故尔 吾戀目八方
(むらさきの にほへるいもを にくくあらば ひとづまゆえに われこいめやも)

 

かつて夫婦だった男女が詠みかわした、恋の歌です。

 

「あかねさす」の歌の作者は、額田王

「むらさきの」の歌の作者は、大海人皇子

 

ふたりは「かつて夫婦だった」のです。

 

以前結に婚していたのです。この相聞歌を詠んだときはもう夫婦ではありませんでした。

 

この歌は、当時の天皇天智天皇の前で詠まれました。

 

額田王は、天智天皇の妻です。

大海人皇子は、天智天皇の弟です。

 

天智天皇は目の前で、自分の妻と、その元夫であり弟が、恋の歌を詠みかわすのを見せられたわけです。

 

いや、キッツ!

どういうシチュエーション!?

 

上記の二首の、現代語訳を載せます。

 

あかねさす 紫野行き標野行き 野守は見ずや 君が袖振る

【訳】(紫草の繁る)野を歩き、標野(※一般人の立ち入りが禁じられた野)を歩いていると野守(標野の見張り番)が見たりはしないでしょうか、あなたが袖を振るのを見られてはならないのに。

 

「あかねさす」は「紫の」の枕詞でそこから相聞歌として対になってるところもとても萌えポイントです。

 

紫草(と書いて「むらさき」と読む)というのは女性への最高の讃美で美称です。のちに編まれる源氏物語の「紫の上」も彼女が作中最高の女性とされるヒロインだからこ「むらさき」との呼び名(あだ名)なんですが閑話休題

 

 

紫草の にほへる妹を憎くあらば 人妻ゆゑに 我恋ひめやも

【訳】紫草のように美しいあなたを嫌いなら、他人の妻なのに恋い慕いましょうか、いや恋い慕ったりはしません。あなたを嫌いではないからこそ恋い慕うのです。


「妹(いも)」とは現代でいう「年下のおんなきょうだい」ではありません。「妹背(いもせ)」という言葉があります、親しい間柄の男女、つまり恋人同士や夫婦。「つがいの相手を示す言葉」と言ってもいいかもしれません。


「匂(にほふ)」とは、やっぱり現代で言う「匂う」(香りを感じる)ことではありません。「にほふ」という言葉にはいろいろな意味がありますが、ここでは「内面の美しさが生き生きと輝く」などという意味になります。

 

日本刀の刃の部分、刃文は細かい粒子でできています。粗い粒子を「沸(にえ)」と呼び、曇りガラスのように見える粒子を「匂(におい)」と呼びます。鋼でできている日本刀に匂いがあるわけはないので、もちろん「内面の美しさが生き生きと輝く」様子を表現しているわけです。

 

(日本刀には鼻で感じる匂いがあると、私は感じていますけど。鋼って匂いがします、いい匂い)

 


つまり「紫草のように美しい、私の妻」と言いたいわけです、大海人皇子は。


額田王はかつての妻だったとはいえ、今は違います。目の前の兄の妻です。兄は天皇です、最高権力者です。

 

そんな相手に向かって、その妻に「紫草のにほへる妹」って、ラブがあふれすぎています……当時の天皇は文字通りの最高権力者です、そんな相手に「おまえの妻を俺は愛してる!」って大声で言ってるわけで、喧嘩売ってる! 本気で命に関わる事態!

 

この相聞歌を初めて読んだ、子供のころの私は「きっとかつて愛し合っていたけれど引き裂かれたふたりが、人の目を盗んでこっそり詠みかわしたのね……」と思っておりました。

 

ですがこの相聞歌には序文があります。どういう状況で詠まれた歌か、との説明文です。

 

天皇、蒲生野に遊猟をしたまふ時、額田王の作る歌』

天智天皇が蒲生野で狩りをしたときに額田王が詠んだ歌、なんですね。

 

当時の狩りは権力者による公開行事です。直接狩りをしない女性などもたくさん参加していた、宮廷主催のピクニックみたいなものです。

 

その場で詠んだ歌、つまり天皇の目の前で公開した歌です。


天智天皇だけではなく、あらゆる人たちが見ている前で、額田王は元夫の大海人皇子に向けて「そんなに私にラブコールしてたらバレちゃいますよ」という意味の歌を詠み、大海人皇子は元妻に「今のあなたは人の妻だけれど今でも愛してるよ」って返歌してる。大胆不敵すぎる!

 

額田王超弩級の宮廷歌人です。歌を詠んで世論を発破したりするのも仕事です。

 

当時の「歌」は雅な趣味だけではなく、現代でいえば大きなイベントごとのテーマソングとかパフォーマンスにあたるでしょうか。それを担う偉大な宮廷歌人です。

 

大海人皇子はそんな額田王とかつて結婚していたのですが、兄の天智天皇中大兄皇子)に奪われています。略奪愛です。NTR?(語弊はありますが、まぁそんな感じです)。

 

恋の歌であることは間違いありません、袖を振るってのは当時の「恋しい人の魂を自分のほうへ引き寄せる」おまじないみたいなものです。どう考えても「恋の歌」なんです。

 

つまりこれは天智天皇に対する挑戦、戯れ歌だと笑って流せる天皇としての度量を試すためって説が濃厚です。時代、学者によって解釈が変わってくるものではありますが、序文からもそうだと思います。

 

やっぱり子供のころの私は「大人って……」ってなりました。こんな情熱的な相聞歌が戯れ歌(たわむれに作る歌)って。おとなってきたない。

 

そんな私は「紫草のにほへる妹」って口説いてくれる人がいたら即堕ちって思ってますけどそんな人は未だに現れません……解せぬ。